生い立ち

生い立ち

愛がなんなのか、わからなかった。愛されないで育ってきたと思っていたから。

裸になっても、お金がなくても、自分の損得関係なしにあなたには、守りたい人がいますか?

自分を愛せなければ、誰も愛せない。人を愛することができなければ、愛してもらえない。

まずは、自分から与えよう。

 

初めまして、川名 淳(かわな じゅん)といいます。

わたしの名前の淳は、「素直」という意味があります。父から受け継ぎました。

現在、身長148cmという小柄を生かしながらSサイズ148cmファッションスタイリストをしています!

外見が悪いから、何をしても出来が悪いから、誰にも愛されないんだと思って生きてきた。

そんな醜く黒い心を持っていたわたしが今のHAPPY LIFEに至るまでの物語。

兄弟との比較

平成3年6月28日。千葉県で自営業を営む両親の元で生まれました。

兄と弟に挟まれた3兄弟。学力が優秀な兄と弟に比べられながら育った。

難関私立学校に合格した兄に憧れて始めた中学受験は失敗。塾にも2年間行かせてもらっていたのにも関わらず全て落ちました。

中学で兄がしていた陸上部に憧れてわたしも高校で陸上部に入って短距離をしてみても、県大会さえ出られなかった。

3歳から習っていたピアノに最終的には挫折して行きたかった音大を諦める。

勉強も、スポーツも、大好きな音楽さえ上手くいったことがなかった。

両親にわたしを見てもらいたい。

その一心でした。

でも、何をやってもわたしは出来損ないだと落ち込む日々が続いた。それから挑戦しても「どうせ私にはできないんだ」とすぐに諦めてしまうことが増えて、全てが中途半端でした。

自分に得意なことも長所も一つもなくて、自信がなかった。

何をしていても上手くいっている人とすぐに比べてしまって落ち込んで嫉妬してた。

頑張ったところで、兄弟より能力が明らかに低く結果が出ないわたしは母親から侮辱される対象になっていた。

母親から「生まれてこなければ良かったのに」「どうしてあなたは(兄弟と比べて)出来損ないなの?」と言われたこともあった。

褒められた記憶はほとんどなく、いつも否定ばかりされて育ってきた。とても苦しかった。

そんな積み重ねが重なって、中学校の頃から、わたしは誰にも必要とされない人間なんだと思うようになった。

自己肯定感が異常なくらい低く、自信がなく、とても大人しく、人の顔色をすぐにうかがってしまうわたし。

褒められるのはお兄ちゃんばかり。かわいがられるのは弟ばかり。

「お兄ちゃんと弟だけいればそれでいいじゃん」

悲しみと嫉妬の嵐だった。

両親の不仲

父は自営業で仕事が多忙だったため、小さい頃から学校の行事を見に来てくれたことはほとんどありませんでした。

なので正直、お父さんと会話したことがほとんどなく、わたしよりも仕事が大事なんだろうとさえ勝手に思っていました。

周りの人がお父さんがどうたらこうたら話していると、羨ましい気持ちが大きかったです。

そして父と母は小さい頃からとにかく仲が悪かった。

父が何か話すと、母は必ず否定した。肯定することは一切ない。

母はとにかく言葉がきつく、言われると傷つくようなことを平気で言ってくる人だった。

また、母は人のいいところより悪いところを見つけるのが得意で、話題は大抵人の悪口だった。

そのため常に会話の雰囲気は最悪で、一緒にいるだけで暗くなる。

それをため息混じりに受け入れていた父を見ていたわたしは父にいつも同情していた。わたしも父と同じで、母に否定されていたから尚更だった。

忘れもしない、小学4年生のあの日の出来事。

1階で母と同じ部屋で過ごしていると、2階から「ガンッガン」と急にものすごい物音がした。

わたしがビクッとなっていると、その後すぐにドタドタと父が階段から降りてきて、私たちがいる部屋のドアを開けた。

いつも穏やかな父とは思えない怒鳴り声。

「おい、てめえいい加減にしろよ、死ねよ」「いつも俺のことばっかり差別しやがって」

父が母に殴りかかっていた。

わたしはとっさに母をかばって「やめて・・・!」と言って母の前に立ったが、思いっきりわたしが殴られた。

父の怒りはおさまることなく、この日は父が母に暴力を振るうのを見ることになってしまった。

正直、こんな父は見たことがなかったので、わたしは号泣してしまった。本当に怖かった。

2階で起きた物音の正体は、父がベランダで思いっきり床を蹴っていて、穴が空いていることを後から確認することができた。

そしてその穴は直すことなく今でも空いたままです。

こんな出来事があっても両親の仲はどんどん悪くなる一方だった。

わたしはこの頃から「こんな夫婦にだけは絶対にならない」「なんだよ、家族って。全然いいものじゃない。あったかくない。冷たくて苦しいもの」

ずっとそう思っていた。

周りの友達の家族での仲のいい話を聞くと羨ましくて苦しかった。

「なんでわたしなんかが生まれてしまったんだろう」本気でそう思い、家で生活していることが地獄でした。

両親への反抗

学校ではいじめにあっていた。身長が低かったこともあり、(中1で133㎝)特にクラスの男子に「チビ」「ブス」はよく言われていた。

公園に呼び出されて思いきり殴られたこともあった。スカート短いんだよ、ばーかって書いてある手紙を机に入れられた。

机に「死ね」と彫刻で掘られていたこともあった。声をかけても、無視されることが多かった。

さらに中学2年生の夏休み前には学年全体で総無視という仕打ちを受けた。昨日まで仲が良かった女子にさえなぜか無視された。

わたしはいないのと同じ扱いをされてしまった。とても苦しい毎日で孤独だった。

学校に行くのが辛かったが、両親にはいじめられていることは一切言わなかった。言ったところでどうせ否定されるだけだと思ったから。

それどころか、両親に対して

「お前が小さいからいじめられるんだ」(母は144㎝)
「お前の顔がブサイクだからいじめられるんだ」
「大嫌い」

と、本気で思っていました。

この頃から自分の身長が低いところ、一重で可愛くないことがすごく嫌だった。外見がコンプレックスの塊でした。

学校ではいじめられ、家では孤独で否定ばかりされる毎日だった。だからわたしは誰にも愛されない存在なんだと思ってた。

「かわいくなりたい」
「なんで生きてるんだろう」
「わたしって生きてる意味あるのかな」
「誰でもいいから、愛されたい」

生きるのが辛くて、そう思うようになっていた。

愛されたい、ただそれだけ

それから、中学校は夏休みになり、はまっていたオンラインゲームだけが至福の時間になっていた。

そこで、あるひとりの男性と出会う。

ネット上のため姿は見えないが、言葉に惹かれていった。「好きだよ」っていうちっぽけな言葉に。

でもそれでよかった。愛されている気がしてたんだ。わたしの唯一の心休まる居場所だった。

性的DV

その人が千葉まで会いに来てくれるようになり、実際に会うことになった。

写真とは印象が違った。

別にイケメンでも、身長が高いわけでもない。思ったより太っている。

わたしは、こんな人に惹かれていたの?

ネットって、言葉ってこわいな。自分を良いように嘘でもなんでも言えるもんね。と、思った。

でも、それでもわたしのことを好きだと言ってくれるこの人のところしか、わたしの居場所はないと思ってた。

わたしはとにかく家に帰りたくないので、学校帰りに彼が契約してくれたアパートに寄ってた。

だけど、そこで要求されるのは性的なことばかりだった。

「俺、最近 AVじゃ抜けないからじゅんの写真撮らせてよ」と言われ、裸の写真や、性的なことをしている時に写真を何回も撮られた。

手足を縛られて身動きが取れずに好き勝手されたことがあった。

異常に長くて気持ち悪いディープチューをされた。

望んでもないのに、「手コキして」「フェラして」と何回も何回も言われた。

最終的にセックスを要求されるのですが、断固拒否すると、

「中学生なんてみんなヤってるよ」
「俺の事好きならできるだろ」

と言われた。

辛かった。
すごく嫌だった。
気持ち悪かった。

拒否するのにも疲れてしまったのか、いつからか何を言われても受け入れていた。

笑うことも、涙が出ることもなくなって"無"になっていた。

精神的なストレスが強くあり、自分の髪の毛を自分で何十本も抜くことが続いた。

本当に好きだったら、相手が嫌がることしないはずだよね。わたしって彼にとってなんなんだろう。

でも、わたしの居場所はここにしかない。家も学校も大嫌い。そう思っていたから、バカだったけど彼と一緒にいることを選んだ。

家出

ある時、家出をして彼の家に泊まったことがあった。もちろん自宅には何も連絡していなかった。

変わらず、性的な要求は続いた。

彼はわたしが好きなんじゃなくて、わたしの身体目当てなんだろうなと強く感じるようになっていた。

「好き」って簡単に言えるんだね。嘘でも。

家出して2日目に、何故か彼の家がばれて両親がやってきた。

身分聴衆を彼にしているお父さん。

ほぼ裸でいるわたしに頬を叩くお母さん。強い口調で、「服を着なさい。帰るよ。」と。

わたしは大泣きで家に連れ帰られた。

彼の心配ではなく、両親に怒られるのがこわかった。

わたしも結局、自分が愛されたい一心で彼を利用していただけだった。本当に、最低。

「今日はもう寝なさい」とお母さん。わたしは泣きすぎて寝られなかった。

両親が何か話しているのが聞こえる。そこには、わたしを怒る言葉は1つもなかった。

「妊娠してたらどうしよう」
「身体に傷はないかな」
「あの人はどうする」

全部、全部、わたしを心配する声。

そこで初めて気が付いた。「わたし、必要とされてないわけじゃないじゃん」

ずっと嫌われていたと思ってたんだ。だから、嬉しくて更に泣いた。家族のありがたみを知った。

親のエゴ

だけど、母親を簡単に好きになることはできなかった。

なぜかっていうと、それから兄弟と比べられることも増えて、母親の過保護がどんどんエスカレートしていったから。

どんな時も連絡は必ずすること。
大学生なのに、オールや外泊は禁止。
門限は21時くらいだったかな。

周りの友達は、今日はオールだの、泊まりだの言っていて羨ましかった。

だから友達と遊びたくて、大学生らしいことがしたくて、「今日もバイトだから帰るの遅くなる」て言ってたね。

怒られるのが怖くて正直になることが難しかった。とにかくいい子でいることで精一杯だった。

お母さんは、「早く帰ってきなさい」が口癖だった。

「あんたはいつも家の事も何もしないで何やってんの!」
「お兄ちゃんはいつも家事やるのにあんたは、、」

わたしは家族よりも友達を選んでいた。なんでかっていうと、家に帰ると息苦しかったから。

家事もしたくない。兄弟と比べられたくない。

わたしはわたし、なのに何1つ見てくれないんだ。

それっていないの一緒だよね。

わたしは特別何かできるわけじゃないし、兄弟みたいに学歴もないし、かわいくもないし、性格的に人からも好かれるタイプではなかった。

中学の時にいじめられてから、人に嫌われるのがこわくなって、いつもにこにこしてた。

作り笑いばかりだった。

人にやさしくしているけど、自分が良い人だと思われたいだけだった。

周りにいつも人がいて、楽しそうにしている人を見ると嫉妬してた。

そんな人たちの悪口もよく言ってたな。誰かを悪く言わないと、自分を高く見せられなかった。

素の自分で何一つ勝負ができなくて、偽りの良い人をずっと演じていた。

雇われという名の牢獄

時は流れて、社会人1年目。
子どもが大好きだったわたしは幼稚園教諭として働いた。3歳児の担任となった。

残業は月に150時間を超える。休憩時間は1秒もなく、休みは月に6日だけ。子どもが好きで始めたのに、やっていることは何故か事務関係。

職場の人間関係は過去最悪。

上下関係が激しく、上の人の意見が絶対。否定から始まり、否定に終わる。

同期は半分以上が1年以内に辞めていった。中学の時と同じだ。本当に辛かった。

社会人ってこういうことなのか。

友達はみんな働いていてなかなか会えない。大好きな旅行なんて行けない。

毎日ほぼすっぴんでヘアメイクに気を使う時間が少ししか確保できない。洋服に気を使う余裕さえない。

起きる時間も、一緒にいる人も、行きたい場所も、貰えるお給料も、やりたいことさえ選べない。

子どもは大好きだけど、このまま40年間こんな牢獄で過ごしていくのは、わたしには耐えられなかった。

1年間は責任感だけで乗り越えて、速攻退職した。

自由になりたい

そこからビジネスについて調べ始めた。アフィリエイト、物販、転売、情報商材を買ってやってみるけど全然上手くいかない。

これじゃだめだと思い、SNSを使って人と会い始める。

そこでネットワークビジネスの話を聞いて、好奇心旺盛だったわたしは迷うことなく始めてみることにした。

1日7アポイントを毎日繰り返しやってみたが全然稼げない。情報商材、MTG代、交通費、カフェ代を含めると、60万円程無駄にした。

会いたくもない人にSNSでアポイントを取り、人に紹介し続けていたわけだけど、1日10時間程話すのは苦痛でしかなかった。

元々人見知りだし、人に嫌われるのがこわいわたしは、得意の作り笑顔だけで乗り越えていた。

だんだんネットワークビジネスにも疑問を感じ始めていたわたし。疲れるし、辛いし、本当に嫌。

でもこれ以外にお金の稼ぎ方を知らなかった。

そんなある日の事。いつも通りアポイントを取って出会った同い年のビジネスマンがいた。
「紹介してくれてありがとう。俺はやらないけど応援してるよ」

今まで会ってきた人とは人柄が全然違った。

よく笑うし、礼儀正しいし、共感してくれるし、よく話を聞いてくれるし、絶対否定してこない。

しかも、お金を取らずにビジネスの意味やネットワークビジネスのデメリットを教えてくれた。

「自分が稼ぎたいから紹介しても人はついてこない。相手に対して価値を与えてその代価としてお金ってもらえるんだよ

「ネットワークビジネスって永久にお金がもらえるわけじゃない。会社が倒産したら次の日からゼロ。その時点で自分の力だけで稼いでいるとは言えない。」

「自分で稼げる人は、何をしても価値を与えられる人なんだよ。それがネットワークビジネスだろうが、営業だろうが。」

圧巻した。そんなこと考えもしなかった。

それから私はこの人をすぐに信頼して、よく連絡を取ったり会ったりしてビジネスについて教えてもらっていた。

過去の辛かった話や家族の悩みも打ち明け、大切なビジネスパートナー的な存在だった。

家族と初めて向き合う

そんな彼と夜ご飯を一緒に食べていた帰りの事。

21時半、「もう少し遅くなる」と母にメールをすると、「今どこにいるの。今すぐ帰りなさい!」と返信。

これは機嫌が悪くキレてるなあと思ったので、「今日は友達の家に泊まるね。わたし邪魔だと思うから消えます」と一言メールをしたとたん、

72回の電話と、30通のメール。

監禁されてないですか?
監禁されてないですか?
監禁されてないですか?

メールだと誰でも打てるので電話をください。
お父さんが心配しているので電話をください。

何回もかかってくる電話に嫌気をさしていたわたし。今日は帰らないと意地をはっていると

「今日はもう帰りな。これ以上心配かけるな」
「わたしもう24だよ?いつまでもこんな過保護…」

「じゅんの両親は、今でも中学の頃のじゅんで止まっているんだ。
だから、誰かの家に泊まってほしくない。

あの時みたいに監禁されているんじゃないか、本気で不安なんだよ。両親を助けてあげてよ。その呪縛から解放できるのはじゅんしかいない。だから、今日はもう帰りな。今すぐ電話しな。」

…気が付かなかった。
ずっと、わたしのせいで両親に苦しい思いをさせてたことに

だから、あんなに過保護になってたんだ
だから、家にいてほしかったんだ

両親の愛情がこんな形でしか出ないなんて
こんなことでしか伝えられなくしてたのも全部わたしだなんて

その後すぐに電話して帰宅し、
次の日仕事にも関わらず両親は話し合う時間を設けてくれた。

親は、子どもがいくつになっても愛情でいっぱいなことを知った。これが、ビジネスでいう相手に価値を与え続ける感覚と似ていると思った。

人は簡単に人を嫌い、裏切り、利用し、外見や内面で判断していくけど無償の愛って家族だけなんだな。

なんで今まで嫌いって言ってたんだろう。
なんで両親のSOSに気が付かなかったんだろう。

大事にしなきゃと思った。

今からでも、親孝行したいと思った。

愛が何なのか、初めて知った。
見返りを求めることなく、無償の価値を与えること。

これだけが、愛だと。

それからわたしは、もう貯金も尽きていたし、このまま両親の近くにいたら自律できなくて親孝行できないので、一人暮らしを決意。

そのため一時的にまた幼稚園教諭として就職しましたが、
その傍らで、自分で稼ぐ力を身につけるために日々学んでいきました。

特に、どんな人で在ればいいかを沢山学ばせていただいた。

元々、作り笑いが得意で本音はなかなか言えない。
人に嫌われるのがこわくて、なんでも人に合わせる。
自分を高めるために人をけなしてた。
すごく感情的でイライラしやすかった。

唯一良いところは、人一倍素直だったこと。

「淳」には素直という意味があります。両親に感謝したい。

そんな黒い心の塊だったわたしが、

本気で笑うようになり、共感するようになり、
見返りを求めずに人に優しくできるようになり、
相手の良いところをすぐ見つける癖がついたのは、

会長やリーダーのおかげです。

本当に感謝しかないです。

 外見は絶対に変われる

誰かを幸せにしてあげるのがビジネス。わたしは誰を幸せにしてあげられるんだろうとずっと思っていました。

そんな時に出会ったのが、普段は芸能人を担当しているヘアメイクさん・スタイリストさん。

私は「元々が童顔だし、身長も低いのでモデルみたいにおしゃれになんてなれない」と話したことがありました。

そしたら、「黄金比の顔やスタイルのつくり方を知らないだけ。もっと綺麗になれるのにもったいない。

なんで芸能人は綺麗なんだと思う?私たちが綺麗になるようにヘアメイクやスタイリングをするからだよ。」

と一言。

コンプレックスこそ、活かして綺麗を作れることを知った。

そこからファッション・ヘアメイクを全力で3年間学んだ。

誰よりもファッションセンスがゼロだったので、

毎日服屋に行ってひたすら試着したり、10万コーデスクショして真似してみたり、師匠のセンスを盗もうと必死で努力した。

そうしたら身長が低く見えないバランスの良いコーディネートや、人・場所・することに合わせてファッションやヘアメイクを操れるようになってきた。

365日、違う自分になれる楽しさを知った。自分に自信が出て、外に出るのが楽しくなった。

元々のファッションセンスも身長も体型も顔も関係なかった。

おしゃれの基礎を知って、自分を知って、磨いていけばいくらでも外見が綺麗になれることを知った。

童顔で小柄なコンプレックス

元々ファッションが好きだったわたしだが、外見はコンプレックスの塊しかなかった。

社会人なのに子どもっぽく見られていた。居酒屋に行くと年確は当たり前。ひどい時は高校生に見られた。

それもそのはず。

ほぼノーメイク。眉毛はうまく描けない。
ヘアアレンジもうまくできない。
髪型はいつも前髪ありのぱっつんボブスタイル。

ファッションは花柄やフリル、リボンが大好きで、年齢に合っていない格好をしていた。

短足の148㎝で、とにかく身長が低いことを気にして、

ロングスカートやワイドパンツはひきずって見えるから避けたり、サイズが小さい服を探してもなかなかなくて、だぼっとした服ばかり着ていた。

おまけに、いつも似たような洋服が多く、クローゼットには400着ほど無駄にあった。

こんなわたしでも、きちんと黄金比の顔やスタイルの創り方を理解していったら変わることができました。

ずっとコンプレックスだと思っていたこの身長。今では両親に感謝しかありません。

コンプレックスがあったからこそできたファッションスタイリスト

この身長だからこそ、活かせることが沢山見つかった。身長が低くても、バランスよくスタイル良く魅せられるファッションがある。

だからこそ、同じように身長が低くてサイズ感や着こなしが難しい女性に対して、身長+10cmスタイル良く魅せるファッションのコーディネート術を伝えています。

ファッションを通して「なりたい自分」を叶え、自分に自信を持ち、キラキラしたHAPPY LIFEを過ごしてほしいという想いで148cmファッションスタイリストをしています。

身長は低くていい。低くてもあなたはもう魅力的なんだ、ただそれに気がついていないだけ。あなたも服を通して一緒に綺麗になりましょう♡